親の老いをきっかけに考えた自分の人生

両親のこと

「そんなに嫌ならやめてしまいなさい!」そう言い終わるか終わらないうちに、レッスンBagは道に投げられた。

どうして嫌なピアノをやめさせてもらえないのかな?

とにかく嫌だ!
行きたくない!!
憂鬱だ!!!

これはおそらく4歳くらいの時の母とのエピソードなのだが、60歳を過ぎた今でも記憶の中にある。
いつもは、良い子ちゃんの私が珍しく母に自分の意志を伝えた瞬間だった。

もの心ついた頃からピアノを習っていた。自分の意志で習いたいと言ったかどうかは今となってはわからないのだがある時から行きたくなくなってLessonの日が来るととても憂鬱な思いでいたことは、鮮明に覚えている。

母は、とても躾に厳しい人だった。レッスンが嫌で訴えたらbagを投げられるほど叱られた。今の時代の子育てなら虐待と言われるだろう。その当時は今の常識が常識ではない時代。親にたたかれるのすら珍しくはなかったから確かに厳しい母ではあったが、もしかしたら特別厳しすぎるほどでもなかったのかもしれない。しかし、特に幼い頃の私には厳しく映っていた。

幼い頃の私は、母に叱られるのが怖くてなるべく叱られないように母の顔色を常に伺って生きてきた記憶がある。

一方で職業柄、土日はとりわけ忙しく泊りの仕事が多かった父はほとんどゆっくりと家にいた記憶がない。そんな父はとても優しく母に叱られた時の心の拠り所になっていた。

小学1年生のある雨の日、集団登校時に道にできた水たまりに走ってきた車のタイヤが入り、水をはねた。シャワーのように跳ねた水が、逃げ遅れた一番年下の私めがけて飛んできたのだ。
気づいたら全身水浸しで、ショックと冷たさのあまり家まで泣いて帰ったことがあった。

その日は、珍しく父が家にいて、全身ずぶ濡れの私を着替えさせてくれ、まだ泣きじゃくる私を落ち着くまで見守ってくれ最終的に学校まで送ってくれた。

今から思うと父は、躾に厳しい母だったこと、普段は殆ど家に居なかったことで家にいるときくらいは優しい父親でいたかったのかも知れない。

自分が親になって思うことは、その当時、圧倒的にお母さんたちは専業主婦が多かった。そんな中、パートとは言え母は、働きながら家を守り、ほぼワンオペで子育てをしていたのだから本当に大変だっただろうと今だからこそ理解できる。ほぼワンオペで仕事や家事もある中で、子供たちとの時間が取りにくい中、娘たちをしっかりと育てなければとの思いがあって躾に厳しかったのだと思う。

今の私がいるのは、心の拠り所となってくれていた父、厳しく育ててくれた母の両方の存在があったからだ。

表現の違いがあれども、愛情を注いで育ててくれた両親には感謝しかない。

現在の父のこと

厳しかった母も60代半ばから20年ほど認知症を患い、長年施設生活を送った末に1年半前に亡くなった。

母が施設に入ってからは一人暮らしをしている父は、今ではまだ年齢の割には元気で自分の事は自分でしている。
しかし、そんな父に昨年末、病気が見つかった。手術を余儀なくされ、1月末に入院した。幸い手術はうまく行き術後、たったの4日で半ば強制的に退院してきた。帰って来られるほど元気なのは良かったのだが、病状は決して安心できるものではなく、抗がん剤治療が始まった。

抗がん剤治療は、父の年齢では辛く体には応えたようで、結局8割程度しか治療ができなかった。

手術から約半年、抗がん剤治療終了から3か月。一時は食欲もなく体重も10キロ以上減ってしまった。現在は抗がん剤治療による身体への負担と不快感がなくなり、少しは元気を取り戻した様に見える。

ところが、先日の定期健診で再発がわかり、再度手術することになった。
90歳が見えてきたこのタイミングでの治療や手術は気の毒ではあるが、とにかく今は少しでも苦痛が少なく穏やかに過ごせるように、そして手術が成功するように祈るしかない。

父とのかけがいのない時間

私ほどの年齢になると親もかなりの高齢で、同世代の友人の親も最近では相次いで亡くなられることも珍しくない。

当たり前の事だが、人は必ず死ぬ。
この年齢になると身内や知り合いの人の死が妙にリアルになる。人は必ず死ぬんだと自覚させられる。

母は施設暮らしが長く、また認知症と言う病気の特性上、最後は母の娘だと言うことすら認識してもらえず何ならもう、自分が誰だと言うことすらわからずに亡くなった。
母が認知症を患った当初は、子育てと仕事で明け暮れていた時期で、その後直ぐに病院や施設に行ってしまったこともあり親孝行らしきことは何もできなかった。

そんな後悔が今でも心に残る。
もちろん、親孝行はわざわざしなくても日々の生活の中で寄り添ったり、たわいない話で楽しく過ごす時間も立派な親孝行だ!

若いころは、自分の生活が精一杯で、また子育てや仕事が忙しいことを理由に近くに住んでいるにも関わらず本当に両親に何も恩返しができていない。
母が亡くなった時、自分は親不幸者だと自分を責めることしかできず後悔だけが深く残った。

父は、年齢の割にとても元気だったので病気がわかったときは、母の時のように後悔はしたくない、恩返しをしたい気持ちでいっぱいになり、私ができる最大限の事で父の気持ちに寄り添い、心を緩められることで父を楽しませてあげたいと思った。

今は少し頼りなくなった父の病院に付き添ったり、時間があるときはできるだけ実家に顔を出したり、特別なことは何もないが、残り少ない父との時間を大切にしたい。
それが私にできる最大限の親孝行である。

自分のための人生を生きる

この年齢になると、どんな人にも死は必ず訪れることを身近な事として改めて強く認識させられる。人は必ず死ぬことは、当たり前のように子供でも知っていることなのだが、若いころは遠い未来の事であって誰しも自分事として考えられないが、60歳を過ぎた今、近い将来自分にも訪れる事なのだと思い知らされる。

だからこそ、これからの自分の人生についても考えさせられるのだろう!
世間体や人の顔色を伺っている場合ではないのだ。やりたいことがあるなら迷わずチャレンジしたい。

たった1回の人生、悔いなく自分のための人生を生きたいと改めて思い知らされた。

 

私自身の夢

私自身もそうだったが、50代以上の女性は、子育て、介護など人のために生きてきて、それらから解放された時、初めて自分の人生について考える機会ができてハッとする人が多いのではないかと感じる。

いつしか自分のことが後回しになることが当たり前になり、鏡に映る自分の姿に絶望したり、そんな自分を諦めてしまったり、、、

諦めてしまった夢や、やりたかったが出来なかったことにもう一度チャレンジしてほしい!
そんな女性たちの応援をしたい!
女性のpowerで地域を元気にしたい!

いつしか50代以上の女性を応援することが、私自身の夢になった。

一度しかない人生を一緒に悔いなく生きましょう!

room 4 fashionでは、50代以上の女性を応援するための様々な機会を準備しています。
まずは、「自分を知る」ところから始めませんか?

パーソナルカラー診断や骨格診断など各種診断をご用意してお待ちしています。

 

お申込みはこちらから

 

お問い合わせはこちらから

 

滋賀県甲賀市の古民家サロン
room 4 fashion 代表
エクセレントイメージコンサルタント 大原悠貴子

Access

関連記事

  1. 心で着こなす50代からのファッション(人生経験を通して50代…